母の日

みなさん、こんにちは
ブログ第292弾です。

朝、ラジオを聴きながらランニングしていると、母の日にちなんで、女性進出の話題が多い週でした。
先日の道府県議会議員選挙で316人の女性が当選し、
全体に占める割合も過去最高で14%を超えたそうです。
だいぶん女性の活躍が目立つ中ではありますが、
ある時のラジオでは180数カ国中、160位くらいで
まだまだ女性進出が遅れていると発表がありました。

弊社でも徐々に女性の管理職も増え、益々女性が働きやすい環境も大事になってきています。

ラジオを聴いていると女性にインタビューをしていて
「そこそこ満足している」という声や
「先輩社員で子供も二人いながら、自分の時間も大切にされている
 もちろん仕事もきちんとこなす、理想的な上司」
という若い女性社員の声から、40代の女性は
「あまり女性が何人とかではなく、能力がある方が活躍されれば良いのではないか?
 50代、60代の経営者が世代交代する中、考え方を変えないといけないのではないか」
と厳しい声も出ていました。
たしかに、男性何人、女性何人と言うよりは
それぞれの特性を配慮した上で活躍しやすい土壌や仕組みを作れれば良いのではないかと思います。
走りながらのラジオでしたが非常に勉強になり、信号待ちの時に、上の内容をメモしていました。

さて、今回は「母の日」にちなんで上記の事も書きましたが、私の母の事を書きたいと思います。
私の母は東京都板橋区の生まれで比較的、裕福な家庭で育ったそうですが、
戦後ですので言うほどではなかったと聞いております。
小さいころから計算が得意のようで、商業高校を卒業後、
現、メガバングがまだ合併する前の前の銀行で働いていたと聞いています。
私の母の方のおじいちゃんが事故でなくなり、銀行を辞めて、実家の商売を手伝いしていたようです。
その後、父と結婚し、南日本を現在まで経理の面で支えてきました。
昔からあまり多くを語らず、仕事に対して責任感が強く、
仕事がたまると家に持って帰ってきて子供の食事を作り終えた後、
仕事をしていたのを今でも覚えています。
自分がしっかり勉強をしていなかったせいか、良く、母親からは勉強するように言われた気がします。
父も母も仕事で忙しい日々でしたが、寂しい思いは感じたことがありません。
もらったプレゼントで覚えているのがクリスマスの時にもらった「ローラースケート」です。
親は忙しかったですが、テーブルの上に置いてあった「ローラースケート」を見たとき
すごく嬉しかった時の気持ちを今でも覚えています。
また、今思えば、忙しかった日々だったと思いますが、
1983年開業のディズニーランドにも開業したその年に連れていってもらいました。
まだJR京葉線がないころで地下鉄東西線の木場駅から歩いていったのを今でも覚えています。
高校の部活の時でも遠征があると車で送ってくれました。
父からはいろんな事を教えてもらいましたが、
母からはいろんな私の我儘に対して、文句も言わずに支えてくれたのだなと
改めてこのブログを書いていると感じるとともに、感謝しかない思いです。
厳しい父(もちろん厳しさだけではなく)に、支えてくれていた母、
だからバランスが保たれながら、育ててもらった気がします。

先週も実家に寄って、両親と会話をしましたが
仲良く、昔の話もしながら笑いあっている二人を見て自分も微笑ましく思え、
母もまだまだ仕事にゴルフに満喫している姿を見て良かったと思えました。

今週は「母の日」にちなんで書いてみました。
では、来週またお会いしましょう!!

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