2019年 9月 の投稿一覧

私ごと第4弾

みなさん、こんにちは。
ブログ103弾です。

最近、ブログを見てくれている方達から

盆栽の心配をしてくれます。
『盆栽元気ですか?』
『最近アップされませんね〜』とか
有難い話です。

盆栽は相変わらずです、

また、ようやくヒマワリも咲き始めました。
メッチャ遅いですが、植えたのも
遅かったので、致し方ないです。

出張中に妻からヒマワリが咲いたと
メールを写真付きでもらいましたが、
ご丁寧にと思っていたら、
ヒマワリは私が植えたエリアと妻と子ども達で植えたエリアがあり、
咲いたのは妻達が植えたエリアでした。

単なる自慢メールでした。汗

また、先週娘を試験会場まで車で送った際に、
私のスマホの中の音楽をかけていたのですが、
私が『良かったらお父さんのスマホの中の好きな曲をかけたら』
と進めたら、最初は一応かけていましたが、
気づいたら知らない曲が流れたので、
『この曲なに?お父さん知らないけど』と言ったら
You Tubeからかけていました。

何かその小さな車の中でも、新しい時代を感じました。
気にいる曲がなければ簡単にYou Tubeから引っ張って来て
簡単に車内で聞いてしまう。
新旧交代とはこのように感じさせられてしまう
ものなのかなぁとちょっと大げさですが
感じてしまいました。

そんなつらい経験?の後に、
また、今日も今までのことを書いてみます。

前回まではちょうど大阪に
行っていた時のことを書いたかと思います。

大阪時代はとても楽しく、また貴重な
実践の経営者として勉強をさせてもらいました。

実は入社させてもらった会社さんは
ピザのメーカーさんだったので5年くらいはいる予定でしたが、
諸事情により、南日本に戻ることになりました。

戻ると今でも忘れなれないのが、
入社初日です。

東京に戻るとまた、
実家に住むことになりました。

その初日の日に、うちの常務に自宅にきてもらい、挨拶をしました。

そこで社長である父から
『息子をどうする?』と質問があり、
常務は『私が預かります』との回答をもらい、
ちょうど和室の部屋でしたが、頭を下げて、
今後よろしくお願いしますと挨拶しました。

これは常務と平社員ですから当たり前ですが、
うちの両親も常務に頭を下げていたと思います。

なかなかできないことだと思います。

またもや感謝です。

入社してから、驚いたのが、
会社が結構大きくなっていたことです。

車両も毎年100台から発注していて、新規の立ち上げも多く、
勢いを非常に感じた時期でもありました。

その中でお客様から指名をいただいて、
立ち上げのリーダーをやらせてもらったり、
立ち上げの応援にいったり、入社して3年目のころには
我が社で初めて大型の物流センターを解説する準備に入りました。

そのプロジェクトのお手伝いをさせてもらい、
貴重な体験をさせてもらいました。

また、その時からセンターを建てる時の
指標なども経験させてもらいました。

その中で、初めての大型センターが完成し、
また、お客様もありがたく決まり
新しいセンターの稼働が始まりました。

今では考えられませんが、同時に違う場所での立ち上げなど、
本当にいろんな経験をさせてもらったと思います。

いろんな苦労がありましたが、
今に至るのは会長をはじめ幹部の
みなさんのおかげだと思っています。

あとは当然後継なのでイベントがある毎に、
役職も上がり、それなりの職務を行いましたが、
今思うと恥ずかしいくらい、甘ちゃんで
責務を本当に果たしていたか疑問です。

でも先ほど言ったように多くの方に
支えられてきたので、今があるのかもしれません。

ただ、先ほどのように思ってしまうのはやはり、
代表という立場と今までの役職との違いなのかもしれません。

ご存知の通り、5年前に、社長を交代させてもらい、
その2年前くらいから内外に向けて、父が
『息子が40になったら社長を交代する』と宣言されていました。

わたしからすると突然でしたが、
今回のブログで自分の人生の振り返りをしてみても、
父はわたしが生まれて、ある程度の年齢までいくと、
ほとんどシナリオが出来上がっていたのかもしれません。

恐ろしい人です。

たまに、小さい頃の教育させてもらった
エピソードなどを父親と話をすると殆どがとぼけて
『そうだったかな〜』と言います。

まだまだ父である会長のおメガネに
かなうとは当然思えませんが、今までのような、
他の人がなかなか経験できなかった教育をうけた経験を生かして
頑張っていきたいと思います。

4回に渡り、わたし毎にお付き合いいただきましたが、
次回よりもまた、毎週感じた、経験したことを
書かさせて頂こうと思います。

ではまた来週お会いしましょう!!

私ごと第三弾

みなさん、こんにちは。
ブログ第102弾です

今週はお客様の研修でシアトルに来ています。
ですので日本の状況があまりよくわかっていません、

ラグビーで日本がロシアに行ったことと
上の息子が風邪をひいて病院に行ったことは知っています。

でも今はとても便利な世の中なので
ほとんど状況を知ることができると思います。

シアトルでは、
Amazon GoやAmazonの物流センターを見学して来ました。

すごくできたセンターでした。
それでも常時2500人、繁忙期ですと5000人働いているそうで
そんなセンターが全米に50あるそうです。

規模の違いを感じました。

さて、今週も先週に引き続き、
私ごとを書きたいと思います。

今週は社会人になってからです。

跡取りですとだいたいがそのまま、
自分の会社に入ったり、取引先だったり、
後は大手物流会社に入らせてもらったりです。

私の場合は、取引先の子会社に
入社させてもらいました。

父親からは『南日本に入ったら一生運送屋だから
違うところが良い、さらに厳しい所が良い』ということでした。
で、その会社は宅配のピザ屋でした。

入社して、まずはピザを作るところから
先輩店長さんに教えてもらい、配達も行きました。
今まで料理という料理はしたことがないので、
野菜を切ることなど慣れなく大変でした。

そして、驚いたのが、先輩店長が
違う店に移動しなくてはならないという事で、
ゴールデンウィーク明けには店長に任命させられました。

私は前任者の都合で早く店長になりましたが、
同期の仲間も6月には店長になっていました。

新卒の子にいきなり店長をやらせるなんて、
なんて凄い会社だと思いました。

そこからがまた大変でした。
普段は注文が30件くらいですが、土日ですと
100件を超える注文が入り、私も作りながら周りを見渡して
働いている子たちに的確に指示を出さなければなりません、

箱を用意させたり、注文が入ったと
同時に住所が近ければ抱き合わせをして
2件同時にデリバリーしたりと、また勤務が大阪でしたので、
土地勘もなく、先ほどの抱き合わせの指示をすると、ベテランアルバイトの子から
もっとこっちの方が効率が良いと、言われたりと、
またうちのピザ窯は本格的な窯をアピールしていたので焼き
過ぎてしまったなども結構ありました。

そういった注文が入ってからお届けするまでに、
いかに効率的にお届けするかが勝負でしたので
物凄く勉強になりました。

ある時はピザメイクに入ったり
夜の分の仕込みをしたり、箱を作成したり、
ビラを撒いたり、明日の分を解凍したり発注したり、
配達にいったりと常に全体を見渡し、時間との勝負でした。

また、休みの日でも、食材や資材が足りないと電話が来て、
他の店舗に借りに行ったり、思ったより売れたから、
発注しに来るようにとか、とにかくオーナーの意識で
やれと言われ、随分便利な言葉だなと思いました。

店で起こっていることは全て任されていたので、
本当にオーナーのようでした。

でも楽しさもありました。

自分以外の人たちは皆、大学生、
高校生のアルバイトだったので、
自分が教師のような感じで楽しく仕事を
させてもらったり、みんなで一緒にカラオケ行ったり、
恋の悩みを聞いたりと、当時一番相談を私にしていた
女の子は『彼氏欲しい~』って言っていたのに、
私よりも先に結婚し、お子さんも4人と子沢山でした。

私はこの職場で仕事させてもらって
一番驚いた事がありました。

それは、働いている子たちが店の売れ行きによって、
シフトを変えてくれるという事です。

どういう事かと言いますと、
例えば売れていても急に電話が鳴らなくなると
バイト自ら『店長休憩入りましょうか』とか、
土日に午前からあまり電話が鳴らなくて、午後に入ると
やはりバイトの子が『店長、もうあがりましょうか?』もありました。

こちらがみんなの都合を聞いてシフトを組んで、
決めた時間を拘束しているのに凄いところだなと思いました。

私もなれてくると『休憩入ってくれない?』って
飲み物をご馳走しながら頼んだのを覚えています。

今では考えられない話です。
もともとピザは一枚2000~3000くらいしますので
私は『ピザ屋って儲かるんだろうなぁ』と思っていました。

ですのでこんなに厳しい産業だとは思っていませんでした。

このような修行と言いますか、
勉強を2年させてもらいました。

現金、売上、利益、人、食材、バイク、資材など
たくさんの管理をさせてもらいました。

非常に勉強になった思います。

では、今回はこの辺で、
次回は南日本運輸倉庫に戻って来てから
を書きたいと思います。

次回も是非またよろしくお願いします。

ではまた来週お会いしましょう!

私ごと第二弾

みなさん、こんにちは。
ブログ第101弾です。

先週は台風15号が上陸して、
過去最強の被害を被りました。

千葉の営業所でも納品先で停電があったり、
業務が滞っていたり、と大変でしたが、
この場借りてまずは感謝申し上げます。

また、千葉の沿岸地域では
未だに停電が解消されることがなく、
非常に苦難をされていることと思います。

さて、先週の100弾では
小学校までの事をお伝えしましたが
中学校からのお話を書きたいと思います。

中学校は小学校のとなりの高島第三中に入学しました。
中学校に入ると急な生徒が倍近くに増えたので、
友達が増えることのうれしさと
制服が着れるうれしさがあったことを覚えています。

前回のブログでも書いたように、
非常に体が大きかったので6年生の時は、
学校からランドセルが小さいということで、別のカバンでも
登校が許されていました。

中学になると手に持つカバンでしたので
その心配もありません。笑

中学の1年の時の担任の先生は年配の女性の教師でしたが、
姉の時と同様に非常に良くしてもらいました。

部活は野球部に入りましたが、
当時、非常にきつかったことを覚えていますし、

今では考えられない、
水を飲むことを禁止させられていました。

今以上に、根性論が渡っていた時代でした。

顔を洗うふりをして、
口をゆすいだのを今でも覚えています。

しかし、中学に2年の時には野球部を辞めてしまいました。

ゴルフが増えてきたのと塾への
頻度も増えたためです。

ここからはまた、
お客様との接待に行く場面があったと思います。
恐らくですが、父親に学校を休むように言われ、
風邪を引いたふりをして、先生に電話したことを覚えています。

そして、ゴルフ場へ行き、
お客様とプレーしたのだと思います。

あまりプレー中のことは覚えていませんが、
休んだことだけは覚えています。

ゴルフの翌日に学校に行くと当時、
サンオイルはあっても日焼け止めがあったのか記憶にないですが、
当然つけていませんので、真っ黒な顔をして、
みんなの前に出ます。

誰もが風邪ではなく、
ゴルフに行ったんだなぁとバレバレでした。汗。

でも、同じ社長の息子でも、
仕事の手伝いをさせる親はいても、
接待につれていく親は中々いないと思うので
非常に、良い経験をさせてもらったなと思っています。

南日本運輸倉庫に戻ってお客様へ挨拶にいっても
こちらは緊張して何も話を出来ませんでしたが、
お客様の方から当時の事の話をしてくれたので非常に楽でした。

思わぬ産物でした。

前回のブログでも会社の仕事の手伝いに
行ったことを書きましたが、
中学になると3月はグループ会社が
年度末に忙しかったので、それの手伝いにいったり、
夏はアイスクリームの配送の助手に行っていました。

仕事を手伝うのは当たり前だと思っていたので
そんなに苦労した覚えはありませんが、
その中で中学時代に父親とのやりとりで良く覚えているのが、
父が家に帰ってくると、必ず私の部屋に来ては、
今日会社で起こった事の話をしてくれました。

どのお客様と接待してこう言った話題になったとか、
会社が今度こんな新規の業務をとったとか
どこどこ会社が今度こんなふうに変わりそうになったとか、
普通の中学生では聞くことの出来ない話題にほぼ毎日のように
耳に触れることができたことは非常に有意義な
中学時代を過ごせたことだと自負をしております。

時には疲れていたので、
寝たふりをしたこともありましたが、
電気が消えている部屋でも、何かよっぽど言いたい
内容だったのか部屋のドアを開けて『もう寝たのか~?』と
聞かれるくらい愛情をもらっていたんだなと
改めてこのブログを書いていて感じました。

どれだけ身についているか恐縮ですが、本当に感謝です。

高校時代は埼玉の高校に入学し、
ゴルフ部に入部しました。

高校時代はあっという間の3年間でゴルフはゴルフとして楽しみ、
充実した3年間を過ごしました。

また、この合間にも、当時、板橋にあった修理工場で
オイル交換やタイヤ交換の助手をさせてもらったりと車について
若干ですが、勉強をさせてもらいました。

大学から免許も取ったことから良く、
車検のテストセンターや車検場につれていって
もらったことを覚えております。

大学時代は自由に動けることもあって、
新規センターの応援にも良く行きました。

そう言った意味では就職する前にすでに
運送会社の業務や流れを勉強させてもらったことになると思います。

小さい頃から運送会社の跡取りとして、
勉強させてもらいました。

感謝感謝の一言に尽きます。

今週はこの辺で終了したいと思います。

ではまた来週お会いしましょう!!

祝、100回

みなさん、こんにちは。
ブログ第100弾です。

おととしの10月からこのブログをスタートさせて頂きまして、
今回で100回目になりますが、自分ながらに良く続けられたなと思います。

もともとあまり継続することが得意ではないので、
それも含めて何か少しでも会社のことを、
皆さんに知ってもらえればと思い、始めました。

商談先でも話題にしてもらって、
非常に商談のスタートから会話にリズムをつけることが出来て
ブログをやっていて良かったなと感じております。

また、そう言いながらも、誰に見てほしいだけでなく、
自分自身の振り返りだったり、
考え方の整理であったり、また継続することの大切さ、
またそこにただ継続するだけだなく、
少しずつ読んでくれている方を意識しながら、
マンネリにならないように書いた次第です。

改めて皆さまには感謝申し上げます。

これからも続けていけるように
私自身も進化して行かなければいけませんし、
さらに、好奇心をもってこれからも仕事にプライベートに
頑張っていきたいと思います。

さて、今回は今までと違って少し私のことについて
書きたいと思います。

私は、昭和49年8月10日生まれの
寅年のしし座でみんなに嫌がられますが、AB型です。

生まれたのは東京都板橋区高島平です。
結婚するまでほとんどその高島平で生活をしていました。

高島平は私が生まれる十数年前までは
田んぼだったらしく、鴨猟もあったと聞いています。

最寄りには都営地下鉄の三田線が走っており、
地下鉄では珍しく志村あたりから地下鉄が
地上よりさらに上の高架の上を走っています。

高島平自身がかなり低い場所にあるので
地下鉄が高架の上を走っています。

生まれたときは4000gも体重があり、
あまり大きくない母の中にいたので、もうすぐで帝王切開かも
しれなかったようです。

そこからですね。
今でもそうですが、食べるのが大好きで毎食、
毎食たくさん食べていたのを覚えてします。

そんなこともあって幼稚園の頃から背は高く、
小学生の入学時には130cmの30kgありました。

また食べるのは早かったのでテレビを見ながら食べていても
早くたべなさいと怒られたことはありません。笑
(あまり自慢にはなりません。特に最近ですと尚更ですね。)

そんなこともあって、小学校6年生の時は
172cmはありました。

高島平は50年くらい前に
マンモス団地が出来て、その総戸数は10,170戸と
確かワンルームはありませんから、平均3人としても
団地だけ30,000人住んでいたことになります。

高島平だけで5万人くらいは住んでいたことになり、
小学校も確か高島第9小学校まであって、
5小と7小は200mくらいの密集度だったと思います。

それだけ当時は人がいたことになると思います。
確かにそうですよね。私たちの世代は団塊ジュニアと言われていて、
出生数が200万人を超えていた時代で今の時代の倍以上
生まれていたので、そこからも多さが分かると思います。

ですので、私の大きさに話を戻しますと、
近隣では結構有名だったそうです。

隣の小学校にでけーやつがそれも
2人もいると、(確かに、実は私は2番目に大きかったのです)
そんな小学生でしたが、当時は他の小学生とほとんど
同じように野球をやっていました。それほどうまくは
ありませんでした。結構楽しくやっていました。

野球と同時期に、父親である現会長の勧めで、
ゴルフも9歳くらいから始めるようになりました。

当時としてはかなり贅沢にさせてもらったと思います。
今でも大変お世話になっておりますお客様の物流の
トップの方が言っていましたが、当時のゴルフコンペに私がお客様に交じって
参加させて頂いていたそうです。

私はあまり当時のことは覚えていないのですが、
そのお客様に会うたびにお話を聞くことができました。

父からすれば早くそういった場に慣れるようにと
経験させてくれたのでしょう!!有難い話です。

また、体が大きかったこともあり、
いつからか記憶にはありませんが、
やはり9歳か10歳くらいから
会社の仕事の応援というかお手伝いにも良く駆り出されました。

当時、江東区にあった営業所に
夏休みになると毎日のように、高島平から三田線で
水道橋まで行き、そこから総武線に乗り換え、錦糸町まで乗り
またそこからバスに乗り換え、出勤していました。

スーパーマーケットのセンターでしたが、
まだ、小学生でしたので、資材の片づけを良くやっていたのを
覚えております。

当時はまだまだ小さい会社でしたから
当時の社長(今の会長の)に近い方がその営業所にたくさんおり、
厳しくもあり、優しくも接してくれたように
覚えております。

その時から会長は私に厳しく、
決して甘やかすことのないように言ってくれていたようです。

もう定年退職されてしまいましたが、
当時の所長が辞める何年か前に、
『金持ちの息子なのに昔の貧しい時代
だった家庭の息子のように育てられていた』と言われていました。

私としてはその言葉を聞いて、当時は
当たり前だと思っていましたが、今となっては誇らしく、
非常に感謝感謝でした。

また、当時はけっこう引っ越しの
仕事もやっていたので、私は引っ越しの助手で
お手伝いしていました。

さきほどのスーパーマーケットの物流センターでの
作業は裏方も裏方だったので仕事をしていてもあまり、
誰に迷惑をかけるわけではなかったですが、
引っ越しともなると当然目の前にお客様がいるので
さらに真剣に仕事をしないとお客様にご迷惑をおかけしてしまうし、
当然、上長にも怒られてしまいます。

そういった中で仕事の厳しさやまた、
皆さん有難いことに本当に厳しく教育してくれたので
(なかには何回か仕事しても私が社長の息子とは知らず、
何でこんな若い子が働いているんだ?そんな感じでした。)

仕事に対する姿勢みたいなものは相当、
若いころから学ばせてもらい、
自分の中ではかなり仕事のベースを
早いうちから確立させてくれたのだなと、
このブログを書きながら、
改めて感じさせてもらっています。

本当に感謝です。

まぁー小学生時代をこのように過ごしていましたが、
プライベートな面でいうと当時はプロレスが
大ブームで知らない方も多いかもしれませんが、
タイガーマスクとかスタンハンセンとか、
当時、私はハルクホーガンというアメリカのプロレスラーが大好きでした。

小学生の時は172cmもありましたし、
将来はプロレスラーになりたいと小学校の卒業アルバムに書いたのを
今でも覚えております。

そんな小学生時代でしたが、
特別、友達と遊ぶ時間が無かったという感覚もありませんでしたし、
当然、両親は共働きでしたが、寂しい思いや、どこへも
旅行に連れて行ってくれなかったということも
ありませんでした。

次の時にも少し触れますが、
私の父は授業参観なども結構参加してくれた記憶があります。

会社が創業期から成長期の時だったでしょうし、
バブルの前でしたからメチャメチャ忙しかったことだと
思います。

それでも常にバランス良く、
子供に対しても厳しさと愛情をもって接してくれていたと思います。

本当に感謝です。

今回はこれくらいして、また101回目に続きを書きたいと思います。

ではまた来週お会いしましょう!!

またまた息子で

皆さん、こんにちは。
ブログ第99弾です。

まずは盆栽と向日葵です!

盆栽は相変わらずの雰囲気で、
気温が下がらないからのせいにしましょう。

向日葵は本当はこうなる予定でしたが
先週とあまり変わりがありませんでした。

こちらはだいぶ朝晩涼しくなって来たので
こちらはそろそろ諦めたほうが良いかもしれません!笑笑

嫁にも来年頑張ろうと言われてしまいました。

《これは横浜の公園に咲いてました》

さて、今週はまた息子の話で恐縮ですが、
話を書きたいと思います。

うちの上の息子は5年生で
サッカーにハマっているのですが
去年の12月に入部させてもらって夏には
6年生のレギュラーに選ばれました。

夏はその合宿も何回かあって喜んでいました。

そして、この週末には6年生のチームに
まざって試合に出ました。

まだ試合に出れる時間は少ないですが
すごく一生懸命に取り組んでいる姿を見ると
親としては非常に嬉しい限りです。

私はサッカーをやったことがないので分かりませんが、
まだ荒削りで技術やパスワークというよりは
スラムダンクの桜木花道のように運動量やスピードで
選ばれていると言った感じでした。

その息子ですが、めでたく一点ゴールを決め、
一応チームに貢献しました。

試合の結果は引き分けに終わりました。

次の試合もありましたが、その間の休憩時に
コーチからチームメイトみんなが叱られていました。

内容は技術があるのにミスに対して助け合わなかったり、
最後まで一生懸命、今までの練習の成果を
発揮していないとの事でした。

また、他チームと実力もあまり差はないよ、
という内容でした。

非常に身近な内容でわれわれ
ビジネスパーソンでもよく聞く話です。

そのあとチームメイト同士で話し合いを
行っていました。

内容まではわかりませんがこの時感じたのがやはり釣竿を
与えて魚の釣り方を教えるか、そもそも魚を与えるかでした。

ようどちらが正しいとかではなく、
相手の習熟度やキャラクターに合わせて
バランスを考えて行う事だと思います。

前にも書いたかもしれませんが
これからの人のマネジメントは芸能人とマネージャーの関係だと
ある雑誌に書いてありました。

その人1人に1人充てがうことはできませんが
そのキャラクターをどう活かすかがマネージャーの仕事です。

チャンスがあれば参加をお願いするだろうし、
こんな仕事であれば本人のプライドを傷づけてしまい、
返ってマイナスになってしまうかなとか
よく特徴を見た上で活かせるようにしたいものです。

さきほどの話に戻すとコーチが真剣に語っていた時に
私の息子も真剣にコーチの話に向き合っていた姿が
点を入れたことより更に嬉しかったです。

こういったことは永遠の課題なのですかね。

でも進まなくてはなりませんね。
ではまた来週お会いしましょう!

次回は100回目ですが、
いつも通り書きたいと思います。