みなさん、こんにちは。
ブログ第205弾です。
皆さん、ご存知かと思いますが、私は普段5本指シューズを履いています。
足指が普通の靴と違って開き、爽快感があります。
またソールも薄いので、足の裏を感じながら歩くことができます。
歩き方が強制され、姿勢も良くなり、腰に対してもよくなった気がします。
ゴルフの時も履いたり、長距離を歩いても、腰に来ないので良いです。
しかし、見た目があまり奇抜なので、みんなに驚かれてしまいます。
先週、習慣であるランニングをする時、雨が降っていたので
久しぶりにランニングシューズで走りました。
非常に走りやすく、タイムもキロ当たり1分ほど速く走れてびっくりしました。
週末は久しぶりに10km近く走ることができました。
靴の性能によって用途が違い、使い方が違うことがあることをあらためて実感しました。
さて、今週は『居場所』について、お話をしたいと思います。
最近、この『居場所』という言葉をすごく感じるようになりました。
なぜかというと、私も含めたみんながいつも自分の居場所を求めていると感じるからです。
例えば、私自身も誰かとの会話や会合で、自分自身の居場所を求めているのだと思います。
普通であれば、発言をして、周りに自分の居場所を示すことが
自分の居場所を見つけることだと思います。
また、結果を出すことで上司に認められて、
自分の居場所を感じるようになることもあると思います。
しかし、いつものように喋らない人を演じる?ことも、いつもと同じ『居場所』
を求めているのかもしれません。自分はこれで良いと!!
また、仮にいつも周りを罵倒している人がいるとします。
その人も、周りを常に罵倒して、自分より、相手を下に見立てることによって
自分の好む居場所を見つけ、維持しているのだと思います。
そう思うと、自分の居場所というものは、
相手があって初めて成立するものだと理解させられました。
どんな相手だろうと、相手がいるから自分の望む『居場所』を得ることができる。
『居場所』はある意味『キャラクター』とも言えるかもしれません。
漫画の話で恐縮ですが、やはり面白い漫画は『キャラクター』の構成が絶妙で
その関係が面白いです。
そうすると同じようなキャラがあると被ってしまって、
自分の『居場所』を見つけられなくなるかもしれません。
先日、お笑いの番組を見ていた時も『キャラが被った場合ってどうしていますか?』
といった芸人さんの質問がありました。まさに死活問題ですよね。
しかし、私はいつも思うのですが、過去と比べるとメディアにしてもそうですが、
いろんなTikTokやInstagramなどたくさんありますし、
職業でもそれらを踏まえたものも含め、かなりの選択肢が増えてきています。
そうすると、私は必ず自分の居場所を見つけることができると思います。
場所だけでなく、同じ場所でもやり方一つで、言い方一つで、
自分の居場所を見つけることもできると思います。
そうすると無限のようにも感じますし、
必ず受け入れて貰える自分の居場所があると私は思っています。
人生は常に新しいものも含め、自分の居場所を探す『旅』かもしれません。
そして、人生の最後を迎えるときに、自分の居場所を探す『旅』が
どうだったのか?自分に対して頑張ったのか?
最初から多くの自分の『居場所』があったのか?
増やして行ったのか?減ったり増えたりだったのか?
減ってはしまったが、自分が一番大切にしている『居場所』だけは
最後まで守ることができたのか?
そんなふうに感じざるを得ないのです。
もしかしたら、『居場所』は『やりがい』かもしれません。
『居場所』を感じられるイコール『やりがい』を感じる、なのかもしれません。
そういった意味では、私にもまだまだ新しい『居場所』が待っているかもしれません。
そう思うとワクワクしていきます。
努力とは裏腹に、持っている『キャラクター』で
新しい『居場所』を見つけられるかもしれませんし、努力の末かもしれません。
努力とは別の次元で、いろんなものが組み合わさって、
『居場所』を見つけられるのでしょう!
ただ私自身言えることは、新しい出会いであったり、チャンスであったり、
まだまだ無限の可能性があることがこれからのライフワークとしても楽しみです。
皆さんはどう思われますか?
ではまた来週お会いしましょう!!