知識と無知

皆さん、こんにちは
ブログ第287弾です。

最近、喜ばしいことがとがあります。
いつもサプリメントを飲んでおり、1日に4つとか3つとか飲む量を推奨されています。
きちんと数を合わせて飲み切ると非常に気分がいいですね。
しっかりと飲み切ったことの嬉しさもありますが、
いい加減な私はきちんと数えないで飲むことがありました。
最後に数が合わないことが分かると気分が落ち込むこともありましたが、
最近はそのようなことが少なくなり、自分のちょっとした成長を感じています。笑
歯磨き粉も同様です。
もう中身が全部出ただろうと思っても、一生懸命頑張ってみると10回以上まだ中身が出てきます。
歯磨き粉ぐらいとなめてはいけませんね。
今までは適当に妻が交換してくれていたので交換時期についてどうしていたのかはわかりませんが、
妻には『歯磨き粉まだ出るんだよ〜』と話をしてみました。
もしかしたら、妻は心の中で呆れながら聞いているのかもしれません。汗

さて、先週は娘の高校の入学式でした。
科長の挨拶を聞いていると義務教育が終了し、
これからは自分で学ぶ世代になってきたと聞いて大人になってきたことを実感します。
高校を卒業する頃は、成人になっていることにも改めて気づかされました。
普段、あまり意識していなかったですが驚きです。
行きつけの料理屋さんでも、そんな話をしたら、やはり『早いものですね〜』と仰っていました。
さて、話を入学式に戻すと
科長さんが『無知も長所になる』と仰っていたことに私のアンテナが立ちました。
私は常日頃、知識を持っていた方が良いと思っていたのです。
今やっている英語でもバランスかもしれませんが
基礎である単語や文法を多く知っていた方が頭が真っ白になることが少なく、
会話や読むもので自分の中に持っているリスニング力やスピーキング力を活かると思っていました。
もしかしたら知識に迎合しすぎると、
考えることをやめて思考停止になってしまうかもしれないと仰りたいのかもしれません。
好奇心も失われるかもしれないということなのでしょうか?
高校3年生の祝辞でも『人間は考える葦である』と話をしていました。
人間は弱い存在であるが、考えることができる、だから偉大である。
そんな言葉をメッセージとして送っていました。
長い歴史の中でわからないことだらけから、人間の全能なる思考を活用することによって
知識として体系立てられるようになって、今日があるような気がします。
知識を得ることは非常に大事ですが、考えることによって知識を理解し、
その知識を使って更に考えることで新たな常識を作ったりとこの繰り返しなのかもしれません。
だからこそ、思考し、その先に知識を得て、知恵になると思いますが、
それでも『まだまだ自分は無知な存在である』を思うことで好奇心が湧き、
また新たな思考、知識、知恵、そしてまた好奇心へとサイクルが回っていくのでしょうか?
また、思考し知識なり知恵になって活用できると楽しいこと極まりないですよね。
やはりそれが好奇心の源泉ですかね。
以前にも書きましたが、今はハングリー精神より、社会性へ、より高みを得るために
好奇心が旺盛になるような気がします。
私の世代は受験世代でもあったのでどちらかという知識重視のような時代だった気がしますが、
自分の無知を理解し、目を開くことで、世の中、こんなに楽しいことはないと
面白いと感じられるような気がします。

先週は、娘の入学式の皆さんのお話でそんなことを気づかせてくれる週でした。
では皆さん、また来週お会いしましょう!!

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