カメラマンの写真

みなさんこんにちは。
ブログ第107弾です。

先週はスポーツづくしでしたね。

まだラグビーワールドカップも
引き続き盛り上がっていますし、
野球も日本シリーズ(巨人ファンの方は残念でしたね)、
また先週から日本ではじめて、アメリカのPGAツアーが開催されました。

とくにゴルフをやっている身としてこんな時代が来たのか、
と改めて感慨深い思いです。

さすがPGAツアーとあって、
初日の来場者数が1.8万人と国内ツアーでは
考えられない数値です。

今年の4日間競技で一番多かったのが
中日クラウンらしく4日間で2万人とやはり
PGAツアーだなと思いました。

それだけ大盛り上がりですが、大雨の影響で
2日目が順延になってしまったのは残念です。

少しだけテレビで見ましたが
観客の人たちも国内のツアーではなく、
アメリカのPGAツアーのように応援していたと
感じたのは私だけでしょうか?

数もそうだし、観客の雰囲気もまた違った内容で
非常に盛り上がって良かったと一ファンとして
喜んでおりました。

さて、そんなスポーツでよく見るのが
カメラマンの方たちです。

今まではあまり気にしていなかったのですが、
改めていろんなスポーツでのベストショットを見ると
(これはゴルフではなく写真のことです。)
カメラマンの方たちはさすがにやみくもではないでしょうが、
ベストショットをとるためにボツにしている写真がたくさん
あって、一枚のためにたくさん撮っているんだなぁと
改めて感じました。

私なんかはすぐに自分にハードルを上げるのが大好きなので、
効率よくやろうとしてしまいますが、
例えば、昔はゴルフのプレー中にトラブルに
合ったときに複数本もって行けば良いのに、
つい少ない本数、もっと言うと1本しか持っていかず、
ボールがある現地にいくと失敗したなぁ~と思ってしまい、
プライドも邪魔してキャディーさんに違う番手を頼むこともできず
自分で取りに行くのも面倒くさく、何度も単純な
子供ような失敗をしてました。

ついつい何でも奇麗にことを進めて行きたい性分ですが、
カメラマンはそうは行かないですよね。
最近でこそ、デジタルカメラになったので
写真を無駄にすることなく、良い意味でかなりの数の
シャッターを押すことが出来るのでしょうが、
昔でしたら、フィルムに限りがありますし、
もったいない根性をだしてしまえば
押すのにも躊躇してしまうだろうし、あと何枚かで
フィルムがなくなってしまえばどのタイミングで換えたほうが
良いのかなども頭をよぎってしまうと思います。

ゴルフで言えばある程度ベストショットの
タイミングは計ることができるとは思いますが、
サッカーやバスケットなどはどのタイミングで
スーパープレーが出るかわかりません。

非常に難しかったと思いますが、
それだけ何台もカメラを用意していたのかもしれません。

でもそれだけ便利ではない分、
人間の感性というか集中力が研ぎ澄まされるような気がします。

便利さと言えばJRのスイカなんか典型的だと思います。
いつでもどこでもチャージのお金が続く限り、
行けることができます。

昔は切符を買うのに路線図の
案内板を見ていましたが、乗り換え検索アプリがあり、
スイカがあるので見る必要がありません。

その分、土地勘などが鈍っているような気がします。

私のように最初から一本で、
いかにもある程度のブレも想定しないでやるバカもいますが、
ベストショットを撮るために、ある程度ムダも大事だという
良い意味での積極性も大事だと思います。

しかし、先ほど申し上げたように便利になった分、
仕事に対して丁寧さを欠けるようでは本末転倒です。
何を行うにも大なり小なり犠牲を伴って行われていることを
肝に銘じながらも仮説ではないですが常にあたりを付けながら、
最小限に食い止めることを想定することも大事だと
今回のスポーツでの盛り上がりで感じました。

ちなみに最近は林の中とかにボールが入ると
多いとクラブを4本くらいもっていきますよ。

もちろんあたりを付けながら、、、

ではまた来週お会いしましょう!!

面談

みなさん、こんにちは。
ブログ106弾です。

だいぶ気温が下がってきて、
涼しく過ごせる日々が増えてきました。

少し遠方に行くと紅葉が
見えるようになりました。

だいぶ良い季節になりましたね。

それと今年もあと2ヶ月で終わろうとしています。
本当に早いモノだと感じております。

さて、秋になりまして、
恒例の社長面談がスタートしました。

今回も90名もの、南日本運輸倉庫の幹部と面談を行います。

中々スケジューリングが大変ですが、
なんとか年に二回しか出来ない面談なので
一人一人の1時間を有効に活用して、現場の課題解決に
向けて行きたいと思います。

社長になった5年前に『もっと風通しの良い会社を目指したい』
『単なる一方通行のコミュニケーションではなく、しっかりと
現場からも何か課題があればすぐにあげてもらえる組織体にしたい』
そういう思いでスタートさせてもらいました。

最初は私一人で各営業所に回って面談を
開始させてもらいましたが、突然社長が代わって、
いきなり面談では、びっくりする幹部もいると思ったので、
現場へ赴き、私一人で話を聞くことで、少しカジュアルな
感じでいろんな話ができたらと思ってスタートしました。

最初は所長だけを対象に面談をしていましたが、
今では役員から現場の管理職までの範囲に広がり、
90名ほどになりました。

また年二回の面談ですので、
もうすぐで2桁の回数になろうとしています。

先ほども書いたようにスケジューリングが結構大変ですし、
来てくれる幹部も現場とのスケジュールや忙しさで大変ですが、
ほぼ決めた日にほとんど皆出席してくれて、
私からは結構リスケをお願いすることはあっても、
みなさんからは無いので出席率の良さと回数を重ねるごとに、
会社をよくするために意見をくれるのでこれを第一優先に、
我が社の原動力として引き続き頑張りたいと思います。

今回からはかなり数字的な質問を増やして、
今まで聞いたこともない数字が多かったと思いますが、
こう言った面談をきっかけにいろんな会社の数字に
もっと興味を持ってもらおうとの試みです。

ですので知らないのは当然です。
(それでも、情報源に問い合わせをしてくれたり、
またしっかりと私のスピーチの話を覚えてくれていて、
しっかり質問した数字をしっかり答えられた幹部も
数名いました。良くしっかりメモを取っていてくれました)

先ほど文化の話をしましたが、
知らないことも知らないからダメではなく、
せっかくその機会があったのでこれを機会に覚えていこう
という文化にもして行きたいと思います。

回を重ねて来たせいか大分会社のために
意見を言ってくれる場面も増えてきました。

それだけ会社の事を思い、将来の事を思い、
真剣に、また緊張した顔つきには本当に会社の事を思っての
発言をしてくれているんだなぁとこちらも
更に気合いが増すばかりです。

そう言った意見の芽は潰しては当然いけませんし、
もっとオープンにし、もっと同じ目線で同じ課題に
立ち向かって行かなければならないと思っています。

言うのは簡単ですが、このようなブログを通して、
自分の考えを示して、少しでも有言実行できるように
していきたいと思いますし、耳の痛い話に、
真摯に向き合うためには、精神的な成熟度と
姿勢と体調管理が大事だと思います。

業界的にも課題はたくさんありますし、
我が社も積み残した課題がたくさんあります。
そういった意味では早い課題発見と早期解決が大事です。

ですので幹部の人たちからしっかりと課題をあげてもらえるように、
そしてすぐに行動を起こしてくれ、また丁寧な対応をしてもらえるように
職場環境の向上をまだまだして行かなければなりません。

中々大変な業界ではありますが、
一人でも多くの幹部と同じ目線で課題解決に向かえたらと思います。

ではまた来週お会いしましょう!!

台風19号と環境問題

みなさん、こんにちは。
ブログ第105弾です。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

最近いろんな方から『盆栽元気?』と心配の声を頂けるので、
アップしました。

本当でしたら、そろそろ朱く、
綺麗に咲いているのでしょうか?

興味をもって頑張りたいと思います。

さて、先週は台風19号が上陸しました。
第15号でもかなりの勢力でしたが、
19号は過去最大とも言われ、かなりの被害がでました。

私どものセンターではニュースに
でるほどの被害はないと聞いていますが、
仕分けの遅れや配送の遅れが出ているとの事で、
本当にこう言った災害は何も良いことがないように思いますが、
人類に対する戒めなのでしょうか?

自分たちの利ばかりを追求し、
経済の発展に重きをおくと地球の自然に対して、
徐々に痛めつける結果となり、そのツケが徐々に回り回って
今回のような災害が更なる勢力をもって起きるのでしょうか?

本当に我々も出来ることから、
温暖化などに対応して行かなければならないと感じた次第です。

まだ慣れませんが、最近は紙のストローも大分増えました。
レジ袋も無くなるとニュースで見ましたが、
私は良いことだと思います。

便利に慣れすぎているのかも知れません。
無きゃ無いでそんなに不便でも無いはずです。

特に日本は過剰なところが多いかもしれません。

もっと合理的に、シンプルに考えて
行く必要があるかと思います。

そこまでしたときにインパクトはどれくらいなのか?
と改めて考え、再設計する事が必要であるように感じます。

15号の被害からか、今回の19号で大分
お客様も納品を中止するケースが増えました。

お店で働く方も中々、出勤も大変だったり、
今回の被害のように、まず住んでいる住居が
かなり災害にあわれた方も多いと思います。

昔から、空と海の交通機関は何かあると
すぐに運行中止、延期がありましたが、
JRをはじめとする、各交通機関が早めの運行中止を
アナウンスするようになりましたので
大分環境が変わってきたと感じております。

しかし、豊かになりたいと思うことも
事実としてあると思います。

また、人間には意思があり、
以前お話ししたようにただ成り行きに任せる生き方では
生を受けたものとして、一人の人間として良いのか
と疑問がわいてきます。

私の好きな言葉に『抗う(あらがう)』
とお伝えしたことがあると思いますが、
ただそのまま生きるのではなく、
何が目の前の事に対しても常に意識を高く、
そして疑問を持ち、本当にこれで良いのかと
疑問を持ちながら、自己自身を高めて行くことが
人間に求められているような気がします。

そう言った意味では、そういう意識を持ちながら
成長していくことも大事ですし、その疑問を持つ心で、
『本当にこのままの生活や活動が環境にとって良いのか?』
『将来に渡って良いことなのか?』と
思うことも大事だと思います。

最近聞いた話題で高級な服の代名詞として
『ファー』があります。

私もあんまり見たことはありませんが、
そのファーが倫理的な問題から
海外のセレブではフェイクファーに
切り替えているニュースを聞きました。

お金持ちからするとあまり関係ないと
思いがちのように感じていましたが、
さすがヨーロッパなどのお金持ちと思いました。

そう言った環境への意識は大事ですね。

(ただ落ちがあって、フェイクファーは
かなり石油を使うらしく、またゴミ処理も大変で
決して、地球環境に良いモノでは無いみたいです。
でもすぐにそう言った行動へ移ることは素晴らしい事だと思います。
間違っていれば方向転換すれば良いだけです。)

人類は今までも何回も何回もこう言った
環境の変化に対応して来ました。

私は本当の自然と共存しながら生きていける未来があると、
また人類はそういった環境を作ることができると
信じています。

まずは出来ることからが大事ですね。

私自身もこのようにブログを
書かしてもらうことで書きながらいろいろな言葉が浮かび
また、意識もするようになり、改めて環境に対する
意識が上がるようになりました。

まずは何が出来るかが大事だと思います。

みなさんはいかがでしょうか。

災害に遭われた方は早く復興することを願っています。
では、また来週お会いしましょう!!

JFN

みなさん、こんにちは。
ブログ第104弾です。

先週の休みの日に会長である父親に自宅に来てもらい、
一部枯れている松の手入れをしてもらいました。

任せっぱなしではいけないので、
ただ我々は植木の事については全く分からないので
家族4人で(娘は塾に行ってしまいました)草むしりや
排水溝がすぐ落ち葉で詰まりやすいので
そちらの掃除をやっていました。

お恥ずかしい話ですが、
雑草もすぐにまた生えてくるので
億劫に感じていましたが、
奇麗になって良かったです。

みんなで頑張ったお陰で、90Lのごみ袋6袋分、草むしりをして
結構汗をかきながら、また蚊と格闘しながらやったのでかなり良い運動になりました。

また、ひまわりも3つ咲いていましたが、季節があわないのと
奇麗に咲いてはいたのですが、種の植え方が悪かったのか?
真っ直ぐ咲かなかったので
これを機に、全部抜いてしまいました。

また、来年早めに4月後半くらいから
頑張りたいと思います。

さて、先週はJFNの特別講座がありました。
大阪の荒木運輸の社長さんがしっかり社長としての
考え方や振る舞いやスキルを身に着け、
早く事業承継をしっかりと終えてしまおうというコンセプトです。

荒木社長はご自分のいろんな苦労された経験をもとに
自ら講師として、また講義の資料は
全部荒木さんの生データということで我々自身も
真剣にやらないと罰があたりますし、
逆に、こんな実践的な勉強はないと思うくらいです。

今回は3回目で『M&A』がテーマでした。
今までの管理会計や財務会計も手を動かしながら、
頭を使いながらと勉強になりましたが、今回のM&Aも実際の話で、
逆に荒木社長も参加したメンバーがどのように発表し、
どのように値段をつけるかが、非常に興味の湧くポイント
だったようで、すごく議論が白熱しました。

私も会長の下でいくつか携わることができました。
基準としての考え方がありますが、
買うタイミングやこちらが結論を出せるタイミング、
お金を出せるタイミング、はたまた売る側の理由によって
本当に値段が変わってくるのだなと思いました。

もともと我々は不動産をいくつも所有して、
その売買の時も携わる機会を貰いましたが、
M&Aと不動産では買うというところでは似た内容もありますが、
ほとんどは形態がちがうものだと改めて感じました。

実際のM&Aの時はいいとこ、他社がいくらで買おうとしているとか、
ある程度の幅の想定くらいは聞けますが、10数人がやる、
やらないも含めて根拠をしっかりと発表してくれて、
またその値段も付けた発表を聞けるというのは、
中々こんなチャンスはないと思います。

しかもあまりM&Aの経験のない人でも
根拠をしっかりとしている発表がありました。

ビジネススクールとかでM&Aを
ケースとした授業はあるでしょうが、実際の数字で、
やった本人が目の前にいて、そしてみんなで議論させてもらえる、
本当にすばらしい機会だったと思います。

これが本当にJFNの各社の強さの一つに
つながっていると思います。

JFNの中には、地域が近い会社も多い中でありながら、
こういった機会が多く、自社の内容をさらけだして、
お互い切磋琢磨できる組織は本当に強いと思っています。

以前の講義もそうでしたが、私は常にその資料をかばんに携帯し、
いつでも復習できるようにしています。

今回も忘れないうちにいろんな考え方が
出た発表を参考にしっかり復習していきたいと思います。

また、そのあとも2次会までしっかりと
みんなで議論をさせてもらい、けっこうタフな一日でした。

先週はそんな週でした。

ではまた来週お会いしましょう!!

私ごと第4弾

みなさん、こんにちは。
ブログ103弾です。

最近、ブログを見てくれている方達から

盆栽の心配をしてくれます。
『盆栽元気ですか?』
『最近アップされませんね〜』とか
有難い話です。

盆栽は相変わらずです、

また、ようやくヒマワリも咲き始めました。
メッチャ遅いですが、植えたのも
遅かったので、致し方ないです。

出張中に妻からヒマワリが咲いたと
メールを写真付きでもらいましたが、
ご丁寧にと思っていたら、
ヒマワリは私が植えたエリアと妻と子ども達で植えたエリアがあり、
咲いたのは妻達が植えたエリアでした。

単なる自慢メールでした。汗

また、先週娘を試験会場まで車で送った際に、
私のスマホの中の音楽をかけていたのですが、
私が『良かったらお父さんのスマホの中の好きな曲をかけたら』
と進めたら、最初は一応かけていましたが、
気づいたら知らない曲が流れたので、
『この曲なに?お父さん知らないけど』と言ったら
You Tubeからかけていました。

何かその小さな車の中でも、新しい時代を感じました。
気にいる曲がなければ簡単にYou Tubeから引っ張って来て
簡単に車内で聞いてしまう。
新旧交代とはこのように感じさせられてしまう
ものなのかなぁとちょっと大げさですが
感じてしまいました。

そんなつらい経験?の後に、
また、今日も今までのことを書いてみます。

前回まではちょうど大阪に
行っていた時のことを書いたかと思います。

大阪時代はとても楽しく、また貴重な
実践の経営者として勉強をさせてもらいました。

実は入社させてもらった会社さんは
ピザのメーカーさんだったので5年くらいはいる予定でしたが、
諸事情により、南日本に戻ることになりました。

戻ると今でも忘れなれないのが、
入社初日です。

東京に戻るとまた、
実家に住むことになりました。

その初日の日に、うちの常務に自宅にきてもらい、挨拶をしました。

そこで社長である父から
『息子をどうする?』と質問があり、
常務は『私が預かります』との回答をもらい、
ちょうど和室の部屋でしたが、頭を下げて、
今後よろしくお願いしますと挨拶しました。

これは常務と平社員ですから当たり前ですが、
うちの両親も常務に頭を下げていたと思います。

なかなかできないことだと思います。

またもや感謝です。

入社してから、驚いたのが、
会社が結構大きくなっていたことです。

車両も毎年100台から発注していて、新規の立ち上げも多く、
勢いを非常に感じた時期でもありました。

その中でお客様から指名をいただいて、
立ち上げのリーダーをやらせてもらったり、
立ち上げの応援にいったり、入社して3年目のころには
我が社で初めて大型の物流センターを解説する準備に入りました。

そのプロジェクトのお手伝いをさせてもらい、
貴重な体験をさせてもらいました。

また、その時からセンターを建てる時の
指標なども経験させてもらいました。

その中で、初めての大型センターが完成し、
また、お客様もありがたく決まり
新しいセンターの稼働が始まりました。

今では考えられませんが、同時に違う場所での立ち上げなど、
本当にいろんな経験をさせてもらったと思います。

いろんな苦労がありましたが、
今に至るのは会長をはじめ幹部の
みなさんのおかげだと思っています。

あとは当然後継なのでイベントがある毎に、
役職も上がり、それなりの職務を行いましたが、
今思うと恥ずかしいくらい、甘ちゃんで
責務を本当に果たしていたか疑問です。

でも先ほど言ったように多くの方に
支えられてきたので、今があるのかもしれません。

ただ、先ほどのように思ってしまうのはやはり、
代表という立場と今までの役職との違いなのかもしれません。

ご存知の通り、5年前に、社長を交代させてもらい、
その2年前くらいから内外に向けて、父が
『息子が40になったら社長を交代する』と宣言されていました。

わたしからすると突然でしたが、
今回のブログで自分の人生の振り返りをしてみても、
父はわたしが生まれて、ある程度の年齢までいくと、
ほとんどシナリオが出来上がっていたのかもしれません。

恐ろしい人です。

たまに、小さい頃の教育させてもらった
エピソードなどを父親と話をすると殆どがとぼけて
『そうだったかな〜』と言います。

まだまだ父である会長のおメガネに
かなうとは当然思えませんが、今までのような、
他の人がなかなか経験できなかった教育をうけた経験を生かして
頑張っていきたいと思います。

4回に渡り、わたし毎にお付き合いいただきましたが、
次回よりもまた、毎週感じた、経験したことを
書かさせて頂こうと思います。

ではまた来週お会いしましょう!!

私ごと第三弾

みなさん、こんにちは。
ブログ第102弾です

今週はお客様の研修でシアトルに来ています。
ですので日本の状況があまりよくわかっていません、

ラグビーで日本がロシアに行ったことと
上の息子が風邪をひいて病院に行ったことは知っています。

でも今はとても便利な世の中なので
ほとんど状況を知ることができると思います。

シアトルでは、
Amazon GoやAmazonの物流センターを見学して来ました。

すごくできたセンターでした。
それでも常時2500人、繁忙期ですと5000人働いているそうで
そんなセンターが全米に50あるそうです。

規模の違いを感じました。

さて、今週も先週に引き続き、
私ごとを書きたいと思います。

今週は社会人になってからです。

跡取りですとだいたいがそのまま、
自分の会社に入ったり、取引先だったり、
後は大手物流会社に入らせてもらったりです。

私の場合は、取引先の子会社に
入社させてもらいました。

父親からは『南日本に入ったら一生運送屋だから
違うところが良い、さらに厳しい所が良い』ということでした。
で、その会社は宅配のピザ屋でした。

入社して、まずはピザを作るところから
先輩店長さんに教えてもらい、配達も行きました。
今まで料理という料理はしたことがないので、
野菜を切ることなど慣れなく大変でした。

そして、驚いたのが、先輩店長が
違う店に移動しなくてはならないという事で、
ゴールデンウィーク明けには店長に任命させられました。

私は前任者の都合で早く店長になりましたが、
同期の仲間も6月には店長になっていました。

新卒の子にいきなり店長をやらせるなんて、
なんて凄い会社だと思いました。

そこからがまた大変でした。
普段は注文が30件くらいですが、土日ですと
100件を超える注文が入り、私も作りながら周りを見渡して
働いている子たちに的確に指示を出さなければなりません、

箱を用意させたり、注文が入ったと
同時に住所が近ければ抱き合わせをして
2件同時にデリバリーしたりと、また勤務が大阪でしたので、
土地勘もなく、先ほどの抱き合わせの指示をすると、ベテランアルバイトの子から
もっとこっちの方が効率が良いと、言われたりと、
またうちのピザ窯は本格的な窯をアピールしていたので焼き
過ぎてしまったなども結構ありました。

そういった注文が入ってからお届けするまでに、
いかに効率的にお届けするかが勝負でしたので
物凄く勉強になりました。

ある時はピザメイクに入ったり
夜の分の仕込みをしたり、箱を作成したり、
ビラを撒いたり、明日の分を解凍したり発注したり、
配達にいったりと常に全体を見渡し、時間との勝負でした。

また、休みの日でも、食材や資材が足りないと電話が来て、
他の店舗に借りに行ったり、思ったより売れたから、
発注しに来るようにとか、とにかくオーナーの意識で
やれと言われ、随分便利な言葉だなと思いました。

店で起こっていることは全て任されていたので、
本当にオーナーのようでした。

でも楽しさもありました。

自分以外の人たちは皆、大学生、
高校生のアルバイトだったので、
自分が教師のような感じで楽しく仕事を
させてもらったり、みんなで一緒にカラオケ行ったり、
恋の悩みを聞いたりと、当時一番相談を私にしていた
女の子は『彼氏欲しい~』って言っていたのに、
私よりも先に結婚し、お子さんも4人と子沢山でした。

私はこの職場で仕事させてもらって
一番驚いた事がありました。

それは、働いている子たちが店の売れ行きによって、
シフトを変えてくれるという事です。

どういう事かと言いますと、
例えば売れていても急に電話が鳴らなくなると
バイト自ら『店長休憩入りましょうか』とか、
土日に午前からあまり電話が鳴らなくて、午後に入ると
やはりバイトの子が『店長、もうあがりましょうか?』もありました。

こちらがみんなの都合を聞いてシフトを組んで、
決めた時間を拘束しているのに凄いところだなと思いました。

私もなれてくると『休憩入ってくれない?』って
飲み物をご馳走しながら頼んだのを覚えています。

今では考えられない話です。
もともとピザは一枚2000~3000くらいしますので
私は『ピザ屋って儲かるんだろうなぁ』と思っていました。

ですのでこんなに厳しい産業だとは思っていませんでした。

このような修行と言いますか、
勉強を2年させてもらいました。

現金、売上、利益、人、食材、バイク、資材など
たくさんの管理をさせてもらいました。

非常に勉強になった思います。

では、今回はこの辺で、
次回は南日本運輸倉庫に戻って来てから
を書きたいと思います。

次回も是非またよろしくお願いします。

ではまた来週お会いしましょう!

私ごと第二弾

みなさん、こんにちは。
ブログ第101弾です。

先週は台風15号が上陸して、
過去最強の被害を被りました。

千葉の営業所でも納品先で停電があったり、
業務が滞っていたり、と大変でしたが、
この場借りてまずは感謝申し上げます。

また、千葉の沿岸地域では
未だに停電が解消されることがなく、
非常に苦難をされていることと思います。

さて、先週の100弾では
小学校までの事をお伝えしましたが
中学校からのお話を書きたいと思います。

中学校は小学校のとなりの高島第三中に入学しました。
中学校に入ると急な生徒が倍近くに増えたので、
友達が増えることのうれしさと
制服が着れるうれしさがあったことを覚えています。

前回のブログでも書いたように、
非常に体が大きかったので6年生の時は、
学校からランドセルが小さいということで、別のカバンでも
登校が許されていました。

中学になると手に持つカバンでしたので
その心配もありません。笑

中学の1年の時の担任の先生は年配の女性の教師でしたが、
姉の時と同様に非常に良くしてもらいました。

部活は野球部に入りましたが、
当時、非常にきつかったことを覚えていますし、

今では考えられない、
水を飲むことを禁止させられていました。

今以上に、根性論が渡っていた時代でした。

顔を洗うふりをして、
口をゆすいだのを今でも覚えています。

しかし、中学に2年の時には野球部を辞めてしまいました。

ゴルフが増えてきたのと塾への
頻度も増えたためです。

ここからはまた、
お客様との接待に行く場面があったと思います。
恐らくですが、父親に学校を休むように言われ、
風邪を引いたふりをして、先生に電話したことを覚えています。

そして、ゴルフ場へ行き、
お客様とプレーしたのだと思います。

あまりプレー中のことは覚えていませんが、
休んだことだけは覚えています。

ゴルフの翌日に学校に行くと当時、
サンオイルはあっても日焼け止めがあったのか記憶にないですが、
当然つけていませんので、真っ黒な顔をして、
みんなの前に出ます。

誰もが風邪ではなく、
ゴルフに行ったんだなぁとバレバレでした。汗。

でも、同じ社長の息子でも、
仕事の手伝いをさせる親はいても、
接待につれていく親は中々いないと思うので
非常に、良い経験をさせてもらったなと思っています。

南日本運輸倉庫に戻ってお客様へ挨拶にいっても
こちらは緊張して何も話を出来ませんでしたが、
お客様の方から当時の事の話をしてくれたので非常に楽でした。

思わぬ産物でした。

前回のブログでも会社の仕事の手伝いに
行ったことを書きましたが、
中学になると3月はグループ会社が
年度末に忙しかったので、それの手伝いにいったり、
夏はアイスクリームの配送の助手に行っていました。

仕事を手伝うのは当たり前だと思っていたので
そんなに苦労した覚えはありませんが、
その中で中学時代に父親とのやりとりで良く覚えているのが、
父が家に帰ってくると、必ず私の部屋に来ては、
今日会社で起こった事の話をしてくれました。

どのお客様と接待してこう言った話題になったとか、
会社が今度こんな新規の業務をとったとか
どこどこ会社が今度こんなふうに変わりそうになったとか、
普通の中学生では聞くことの出来ない話題にほぼ毎日のように
耳に触れることができたことは非常に有意義な
中学時代を過ごせたことだと自負をしております。

時には疲れていたので、
寝たふりをしたこともありましたが、
電気が消えている部屋でも、何かよっぽど言いたい
内容だったのか部屋のドアを開けて『もう寝たのか~?』と
聞かれるくらい愛情をもらっていたんだなと
改めてこのブログを書いていて感じました。

どれだけ身についているか恐縮ですが、本当に感謝です。

高校時代は埼玉の高校に入学し、
ゴルフ部に入部しました。

高校時代はあっという間の3年間でゴルフはゴルフとして楽しみ、
充実した3年間を過ごしました。

また、この合間にも、当時、板橋にあった修理工場で
オイル交換やタイヤ交換の助手をさせてもらったりと車について
若干ですが、勉強をさせてもらいました。

大学から免許も取ったことから良く、
車検のテストセンターや車検場につれていって
もらったことを覚えております。

大学時代は自由に動けることもあって、
新規センターの応援にも良く行きました。

そう言った意味では就職する前にすでに
運送会社の業務や流れを勉強させてもらったことになると思います。

小さい頃から運送会社の跡取りとして、
勉強させてもらいました。

感謝感謝の一言に尽きます。

今週はこの辺で終了したいと思います。

ではまた来週お会いしましょう!!

祝、100回

みなさん、こんにちは。
ブログ第100弾です。

おととしの10月からこのブログをスタートさせて頂きまして、
今回で100回目になりますが、自分ながらに良く続けられたなと思います。

もともとあまり継続することが得意ではないので、
それも含めて何か少しでも会社のことを、
皆さんに知ってもらえればと思い、始めました。

商談先でも話題にしてもらって、
非常に商談のスタートから会話にリズムをつけることが出来て
ブログをやっていて良かったなと感じております。

また、そう言いながらも、誰に見てほしいだけでなく、
自分自身の振り返りだったり、
考え方の整理であったり、また継続することの大切さ、
またそこにただ継続するだけだなく、
少しずつ読んでくれている方を意識しながら、
マンネリにならないように書いた次第です。

改めて皆さまには感謝申し上げます。

これからも続けていけるように
私自身も進化して行かなければいけませんし、
さらに、好奇心をもってこれからも仕事にプライベートに
頑張っていきたいと思います。

さて、今回は今までと違って少し私のことについて
書きたいと思います。

私は、昭和49年8月10日生まれの
寅年のしし座でみんなに嫌がられますが、AB型です。

生まれたのは東京都板橋区高島平です。
結婚するまでほとんどその高島平で生活をしていました。

高島平は私が生まれる十数年前までは
田んぼだったらしく、鴨猟もあったと聞いています。

最寄りには都営地下鉄の三田線が走っており、
地下鉄では珍しく志村あたりから地下鉄が
地上よりさらに上の高架の上を走っています。

高島平自身がかなり低い場所にあるので
地下鉄が高架の上を走っています。

生まれたときは4000gも体重があり、
あまり大きくない母の中にいたので、もうすぐで帝王切開かも
しれなかったようです。

そこからですね。
今でもそうですが、食べるのが大好きで毎食、
毎食たくさん食べていたのを覚えてします。

そんなこともあって幼稚園の頃から背は高く、
小学生の入学時には130cmの30kgありました。

また食べるのは早かったのでテレビを見ながら食べていても
早くたべなさいと怒られたことはありません。笑
(あまり自慢にはなりません。特に最近ですと尚更ですね。)

そんなこともあって、小学校6年生の時は
172cmはありました。

高島平は50年くらい前に
マンモス団地が出来て、その総戸数は10,170戸と
確かワンルームはありませんから、平均3人としても
団地だけ30,000人住んでいたことになります。

高島平だけで5万人くらいは住んでいたことになり、
小学校も確か高島第9小学校まであって、
5小と7小は200mくらいの密集度だったと思います。

それだけ当時は人がいたことになると思います。
確かにそうですよね。私たちの世代は団塊ジュニアと言われていて、
出生数が200万人を超えていた時代で今の時代の倍以上
生まれていたので、そこからも多さが分かると思います。

ですので、私の大きさに話を戻しますと、
近隣では結構有名だったそうです。

隣の小学校にでけーやつがそれも
2人もいると、(確かに、実は私は2番目に大きかったのです)
そんな小学生でしたが、当時は他の小学生とほとんど
同じように野球をやっていました。それほどうまくは
ありませんでした。結構楽しくやっていました。

野球と同時期に、父親である現会長の勧めで、
ゴルフも9歳くらいから始めるようになりました。

当時としてはかなり贅沢にさせてもらったと思います。
今でも大変お世話になっておりますお客様の物流の
トップの方が言っていましたが、当時のゴルフコンペに私がお客様に交じって
参加させて頂いていたそうです。

私はあまり当時のことは覚えていないのですが、
そのお客様に会うたびにお話を聞くことができました。

父からすれば早くそういった場に慣れるようにと
経験させてくれたのでしょう!!有難い話です。

また、体が大きかったこともあり、
いつからか記憶にはありませんが、
やはり9歳か10歳くらいから
会社の仕事の応援というかお手伝いにも良く駆り出されました。

当時、江東区にあった営業所に
夏休みになると毎日のように、高島平から三田線で
水道橋まで行き、そこから総武線に乗り換え、錦糸町まで乗り
またそこからバスに乗り換え、出勤していました。

スーパーマーケットのセンターでしたが、
まだ、小学生でしたので、資材の片づけを良くやっていたのを
覚えております。

当時はまだまだ小さい会社でしたから
当時の社長(今の会長の)に近い方がその営業所にたくさんおり、
厳しくもあり、優しくも接してくれたように
覚えております。

その時から会長は私に厳しく、
決して甘やかすことのないように言ってくれていたようです。

もう定年退職されてしまいましたが、
当時の所長が辞める何年か前に、
『金持ちの息子なのに昔の貧しい時代
だった家庭の息子のように育てられていた』と言われていました。

私としてはその言葉を聞いて、当時は
当たり前だと思っていましたが、今となっては誇らしく、
非常に感謝感謝でした。

また、当時はけっこう引っ越しの
仕事もやっていたので、私は引っ越しの助手で
お手伝いしていました。

さきほどのスーパーマーケットの物流センターでの
作業は裏方も裏方だったので仕事をしていてもあまり、
誰に迷惑をかけるわけではなかったですが、
引っ越しともなると当然目の前にお客様がいるので
さらに真剣に仕事をしないとお客様にご迷惑をおかけしてしまうし、
当然、上長にも怒られてしまいます。

そういった中で仕事の厳しさやまた、
皆さん有難いことに本当に厳しく教育してくれたので
(なかには何回か仕事しても私が社長の息子とは知らず、
何でこんな若い子が働いているんだ?そんな感じでした。)

仕事に対する姿勢みたいなものは相当、
若いころから学ばせてもらい、
自分の中ではかなり仕事のベースを
早いうちから確立させてくれたのだなと、
このブログを書きながら、
改めて感じさせてもらっています。

本当に感謝です。

まぁー小学生時代をこのように過ごしていましたが、
プライベートな面でいうと当時はプロレスが
大ブームで知らない方も多いかもしれませんが、
タイガーマスクとかスタンハンセンとか、
当時、私はハルクホーガンというアメリカのプロレスラーが大好きでした。

小学生の時は172cmもありましたし、
将来はプロレスラーになりたいと小学校の卒業アルバムに書いたのを
今でも覚えております。

そんな小学生時代でしたが、
特別、友達と遊ぶ時間が無かったという感覚もありませんでしたし、
当然、両親は共働きでしたが、寂しい思いや、どこへも
旅行に連れて行ってくれなかったということも
ありませんでした。

次の時にも少し触れますが、
私の父は授業参観なども結構参加してくれた記憶があります。

会社が創業期から成長期の時だったでしょうし、
バブルの前でしたからメチャメチャ忙しかったことだと
思います。

それでも常にバランス良く、
子供に対しても厳しさと愛情をもって接してくれていたと思います。

本当に感謝です。

今回はこれくらいして、また101回目に続きを書きたいと思います。

ではまた来週お会いしましょう!!

またまた息子で

皆さん、こんにちは。
ブログ第99弾です。

まずは盆栽と向日葵です!

盆栽は相変わらずの雰囲気で、
気温が下がらないからのせいにしましょう。

向日葵は本当はこうなる予定でしたが
先週とあまり変わりがありませんでした。

こちらはだいぶ朝晩涼しくなって来たので
こちらはそろそろ諦めたほうが良いかもしれません!笑笑

嫁にも来年頑張ろうと言われてしまいました。

《これは横浜の公園に咲いてました》

さて、今週はまた息子の話で恐縮ですが、
話を書きたいと思います。

うちの上の息子は5年生で
サッカーにハマっているのですが
去年の12月に入部させてもらって夏には
6年生のレギュラーに選ばれました。

夏はその合宿も何回かあって喜んでいました。

そして、この週末には6年生のチームに
まざって試合に出ました。

まだ試合に出れる時間は少ないですが
すごく一生懸命に取り組んでいる姿を見ると
親としては非常に嬉しい限りです。

私はサッカーをやったことがないので分かりませんが、
まだ荒削りで技術やパスワークというよりは
スラムダンクの桜木花道のように運動量やスピードで
選ばれていると言った感じでした。

その息子ですが、めでたく一点ゴールを決め、
一応チームに貢献しました。

試合の結果は引き分けに終わりました。

次の試合もありましたが、その間の休憩時に
コーチからチームメイトみんなが叱られていました。

内容は技術があるのにミスに対して助け合わなかったり、
最後まで一生懸命、今までの練習の成果を
発揮していないとの事でした。

また、他チームと実力もあまり差はないよ、
という内容でした。

非常に身近な内容でわれわれ
ビジネスパーソンでもよく聞く話です。

そのあとチームメイト同士で話し合いを
行っていました。

内容まではわかりませんがこの時感じたのがやはり釣竿を
与えて魚の釣り方を教えるか、そもそも魚を与えるかでした。

ようどちらが正しいとかではなく、
相手の習熟度やキャラクターに合わせて
バランスを考えて行う事だと思います。

前にも書いたかもしれませんが
これからの人のマネジメントは芸能人とマネージャーの関係だと
ある雑誌に書いてありました。

その人1人に1人充てがうことはできませんが
そのキャラクターをどう活かすかがマネージャーの仕事です。

チャンスがあれば参加をお願いするだろうし、
こんな仕事であれば本人のプライドを傷づけてしまい、
返ってマイナスになってしまうかなとか
よく特徴を見た上で活かせるようにしたいものです。

さきほどの話に戻すとコーチが真剣に語っていた時に
私の息子も真剣にコーチの話に向き合っていた姿が
点を入れたことより更に嬉しかったです。

こういったことは永遠の課題なのですかね。

でも進まなくてはなりませんね。
ではまた来週お会いしましょう!

次回は100回目ですが、
いつも通り書きたいと思います。

心がとらわれる

みなさん、こんにちは。
ブログ第98弾です。

おかげさまでブログも98回と
もうすぐで100回を迎えることになります。

おととしの10月からブログを開始させてもらって
私の思っていることやイベントなどを報告させて頂きましたが、
マンネリにならないようにまた、自分自身も新たな挑戦が
できるように頑張りたいと思います。

さて、向日葵です。
まだ成長しているとは思いますが、
花が咲きません。

これでは来年用の種もとれませんし、
まだ、暑さが残っているうちに、咲いてくれると嬉しいのですが。

《向日葵8.25》

さて、今週は『心がとらわれる』についてお話を書きたいと思います。

みなさん、ご存じの通り、私はゴルフをやるのですが、
何年か前からドライアイなのか、普段でも目薬をささないと、
目が痛くなるようになりました。

ゴルフでも特に今の季節は日差しが強いのと、
芝生からの照り返しで目が痛くなることが多くなりました。

そこで格好付けもあってゴルフ用のサングラスを買いました。

専門店でいろいろと合わせてみて、
自分にあったサングラスを購入しました。

その次のプレーの時は、意気揚々とサングラスを持っていき、
早速つけてプレーしました。

確かに、直接太陽の光が目に当たらないので、
かなり楽になりました。

そこまで良かったのですが、
実際に球を打つと視界にサングラスのフレームが入ったり、
目とサングラスのレンズに当然距離があるので違う感覚で、
またそのことが気になって普段通りのリズムで打つことができず、
普段のような球が出ませんでした。

実際、その日はあまりスコアが良くなかったと記憶に残っていますが、
ここで何が言いたいかと言いますと、たいしたことでもないのに
気になってしまうと心がとらわれてしまって普段のような実力が
出せないことがあるということです。

例えば初めての会議への出席であったり、
人前でのスピーチであったり、そんなにたいしたことが
無いことでも気になってしまったがたまに、全く実力が出せないと言うことです。

以前のブログで書いた板の上を歩く話もしかりです。

例えば、私の英語の学習の時でも、新しい課題を与えられた時に
その内容を見たときに難し過ぎていると感じて丁寧に見ようとしなくなります。

つい、心がとらわれてしまうのですね。

そういった場合は私はとにかくその環境になれることが
まず大事と最近学びましたので、笑

『まずは慣れることが大事!!』と思って、
そう思えば、あまりプレッシャーを感じる事なく
回数を多くこなし、早く慣れるようにしています。

サングラス程度のことでも心がとらわれると、
まったく違う自分になってしまうのだなぁ~と思いました。

こんな話を聞いたことがあります。

江戸時代の剣豪、柳生十兵衛が片目を矢で射貫かれたときに、
とっさに反対の目を押さえたそうです。

本当の話かどうか分かりませんが
(そもそも柳生十兵衛は両目が見えていた説もあるらしいので)
普通でしたら、負傷したところに意識が行くのが普通だと思いますが、
とっさに反対の目をおさえた。

確かに、残った一つの目も負傷してしまっては
何もできなくなってしまうので理屈はわかりますが、
先ほどのように心理としては負傷した目に意識が行ってしまう。

普通は心がとらわれてしまい
とても負傷していない目のカバーには入れないと思うのです。

とっさの状況ですし、当然ものすごく痛いと思いますし、
このようにいつも良い意味で冷静に対応できたらと思うばかりです。

そう言った意味では場慣れも大事なのでしょうね。

だからチャレンジしていろんな環境に適合しておくことが大事ですね。

みなさん、如何でしょうか?

ではまた来週お会いしましょう!!